ダイアログ・イン・ザ・ダークを体験してきました
少し前に暗闇エンターテインメントで固定観念が変わる!?ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表・志村真介インタビューを読んで知ってはいたのですが、最近、動画編集に関するおもしろい記事を書いているブログで紹介されていたのを見て、やっぱりおもしろそうと思い、早速申し込んでダイアログ・イン・ザ・ダーク に行ってきました。
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、暗闇のソーシャルエンターテイメントです
最大で8人一組で、90分間、なにも見えない真っ暗闇のなかをアテンド(視覚障害者1)に導かれながら、『ゴール』を目指して進んでいきます。 この『ゴール』の設定は、時期によって色々と変わるようで、現在は『僕らの夏休み』と題して、みんなが童心に戻って、おじいちゃんの家に遊びに行く、という設定になっています。
目以外の何かでものを見たことがありますか?鳥のさえずり、遠くのせせらぎ 、土の香り、森の体温、水の質感。足元の葉と葉のこすれる音、その葉を踏み潰す感覚。仲間の声、乾杯のグラスの音。暗闇のあたたかさ
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、こういう事が非日常だと思っている人には、視覚を強制的に奪うことで、自身の視覚以外の感覚が鋭敏になっていくさまを体感できる素晴らしい機会となるでしょう。 最後の3つは私には縁遠いですが、その他については、これらを感じることができる場所、実は、身近にたくさんあります。 コンクリートジャングルのように思われている東京23区内でさえ、季節の移り変わりの美しさを感じることができる場所がたくさんあると、ランニングを通して知りました。 非日常をハイな気持ちで体験するより、非日常だと感じていたものを身近な日常の中にに発見することの方が、わたしはずっと重要です。
わたしの自宅付近には盲学校の通学路があり、毎日、白杖を持って歩いている人を見かけます。 周囲を寄せ付けないように、杖を振り回して、強く地面に打ち付ける人。 そっと地面を撫でるように杖を扱う人。 自分では杖を使わず、数人でまとまって、肩につかまりながら歩く人。 彼・彼女たちを見ていると、白杖の使い方からも、その人柄も何となく分かります。 目が見える、見えないに関わらず、色々な人がいるわけです。
普段目が見える人がなにも見えない世界に入ったらどうなるのか、単純にそこに興味がありました。 暗闇の中では互いに声を掛け合ったり、手で触れることによって存在を確認したりします。 狭い場所や段差のある場所を通ったり、あるいは、少し広い空間から何かを探し当てたり、そういうアクティビティがいくつか用意されていましたが、8人という人数でも、その行動に一定の傾向が見えるのがおもしろかったです。 いつも先頭にいる人、いつも最後の方にいる人。 みんなで輪になったり、一列になって歩いたりするのですが、声をかけて存在を確認すると、自分の近くにいる人は大体決まっていました。 アテンドを追い抜いて勝手な行動がとれるわけでもないですし、アテンドが先導している以上、最後尾の方は何かあっても即対応は難しい。そういう状況においては、しんがりを務めるのがわたしのポリシー。どうしても他人より遅れてしまいがちな人っていますし。
『暗闇で何も見えないのが最初は怖かった』という感想を持つ人も多いようですが、 わたしにとっては別段、恐怖ではなかったです。 子供の頃、近視がどんどんと進んで、いずれ失明するのではないかという恐怖にかられたことがあり、そうした強迫観念を感じてから、今でも時々、目を瞑ったまま歩いたりしてます。 家でも、夜中に目が覚めた時、照明を点けずにトイレに行ったり、水を飲んだり。 また、わたしはスノーボーダーなので、雪山のバックカントリーなんかにも行きます。天候が悪いと、重力には逆らえないながらも、右も左も上も下も分からないあたり一面真っ白のホワイトアウトの世界に身を置くと、気温の低さも相まって、本当に死と寄り添っている感があります。 なにも見えないことへの恐怖心がなかったのは、そういう経験もあるからかもしれません。 何より、これはアトラクション施設ですから、危険なものは存在しないはずという思い込みと、運営側への信頼感からかもしれません。 何も見えないことより、空間の広さがわからないこと、方向感覚が全くわからないことの方に不自由を感じました。まぁ、それも知らない空間だからですね。 きっと、感じたよりも実際には狭い空間なのでしょうが、あれだけの設備を上手く空間配置してるなぁと言う感じはしました。
おもしろかったのは、真っ暗闇の中、目を開けたり閉じたりした時、何が違うかというところ。目を瞑ると、暗闇の中でも平衡感覚がなくなると言っている人もいますが、私自身は、目を開けている時は、ホワイトノイズというか、何も見えていないはずなのに、微かに何かが見えているような感じがしました。そして、目が見えている時の癖かもしれませんが、目を開けているより、閉じている時の方が、それがトリガーとなって他の感覚は鋭敏になったような気がします。
白杖は空間的制約、時間的制約があってあまり使いこなせませんでした。もっと自由に、小一時間ぐらいtry&errorしたら、もう少し知見が得られたと思います。 日本でもWhite cane walkのようなイベントがあるなら参加してみたいと思います(現在調査中)。
行程の最後の方で、カフェ・バーのような場所へ。 色々触って手も汚れていたので、おしぼりはありがたかったです。 飲み物はお茶、珈琲、カルピス、麦茶、ビール、サワー。 食べ物は、水ようかんと駄菓子がメニューにありました。 サワーは何を入れるか、時々で変えるようで、おもしろい試みですね。 中身が何かを当てるのに盛り上がっていました。 隣の人が駄菓子を食べていて、3種類セットになっているのですが、 臭いで何を食べているか分かるのがおもしろかったです。 (決して好きな臭いではないです…)
現在は募集していませんが、ワイン・イン・ザ・ダークが次に開催される時には是非参加したいと思います。 ちょっとコンセプトは違いますが、クラヤミ食堂というのもあって、こちらにも興味津々。 今回のクラヤミ食堂は『怪談』がテーマなので、別に怖いのが嫌いというわけではないですが、料理に集中できなさそうなのでパスしました(笑)
最後に、明るさに慣れるために、薄暗い部屋に入り、絵はがきを書いたのですが、 この日、わたしが一番強く印象に残ったのは『手』だったので、手を描きました。 暗い中では、声と手探りが基本。 その日初めて会った人同士なのに、お互いが手を貸さないと上手く先へ進めないし、 何かを発見しても、それを上手く伝えることもできない。 ダイアログ・イン・ザ・ダークを義務教育にしたら、世界から争いは消えるのではないかしら?
一方で、『Dialog=対話』の要素は少なかったのかも。 そう感じるのは、私が初めてだからかもしれないし、いつものように心を閉ざしていたからかもしれませんが、90分という限られた時間の中では、自身と向き合ったり、参加者みんなの深層に切り込んでいくような強烈な体験は難しいということなのではないかと思います。 GIGAZINEの記事にも書いてありましたが、
アンケートを書き終わると本当に解散、となるのですが、印象的だったのは明るい部屋でアンケート用紙を回す時、誰も声を出さずに無言で隣の人に渡していたこと。「見れば分かるから」と言われればそれまでなのですが、さっきまで友人のように話し、相手に触れ、気を遣い合っていた人々の親しさが薄くなったように感じました。
これ、まさに、わたしも感じたところ。 90分程度では、人は変わらないものですね。 視界のある場所に戻ったら、魔法が解けたように、ほぼ無言のままみんな解散していました。 人生を変えるような体験にするには、『1泊2日、あるいは、1週間ぐらい、暗闇の中で生活してください』という感じの設定が必要かもしれません。 greenz.jpの記事を読むと、ビジネス向けのワークショップでは、フィードバックが行われているようなので、 その方が学びは多いと思います。 学びの機会とは考えず、単なるエンターテイメントと考えるなら、十分に楽しめます。
わたしは初参加で一人でだったので、それが珍しかったようで、アテンドに理由を聞かれたりしたのですが、もし一緒にいく人がいないからというのが参加するのを躊躇する理由になっているのでしたら、一人参加が条件になっている『一期一会ユニット』というのもあるそうですので、 一人じゃ参加しづらいという人も、そういう特別な時に行くと良いかもしれません。 チケットを贈ることができる体験ギフトもあるようなので、今度はこの体験を誰かにプレゼントしようと思いました。
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『障害』か『障碍』か『障がい』かについては、常用漢字かどうかで色々な考えがあるようですが、ここでは、ダイアログ・イン・ザ・ダークのサイトに記載されていた表記をそのまま使いました。↩