はじめに

一昨日、夜更けにFBに投稿された『政治家になろうと決めた理由とインターネット』を読んだ。 野田さんはわたしがとても信頼している人の一人だし、これを読むだけでも、彼のような人が政治をやったら、よい世の中になるんじゃないかという気にさせてくれる。読んで思うところが色々あったが、FBのコメントだと長すぎると判断し、今の気持ちを残しておこうと思う。

わたしは政治が大嫌いだ

そう。わたしは政治が大嫌いだ。いや、もちろん、衆院選の投票には行った。 どこに投票するかも真剣に悩んだ。そういう話ではなくて、人と人との利害調整っていうのが本当に疲れるということ。 わたしがテクノロジー信奉者である所以でもある。テクノロジーの世界では、ある前提があり、それに対してあるロジックを適用した場合、そこから帰結される結論は決まってくる。 が、現実は、そもそもロジカルに考えられない人がいたり、ロジックは理解しても全く関係のない人間の感情の部分を調整しないといけないことになる。 わたしが身を置いているIT業界でも、利害関係の調整なんて日常茶飯事なのだが、口には出さないまでも心底うんざりしている。 そんなことをしている暇があったら、その件は受け入れた上で、頭使って、手を動かして、次のステップへ進もうよ、といつも思うわけ。

手段の目的化の話

「選挙に勝て。選挙に勝てば誰でも政治家になれる」

なるほどね。 マスメディアの報道の仕方のせいもあるかも知れないが、現在の選挙は手段が目的化してしまっているようにわたしの目には映っているんだろう。 選挙公約が『玉虫色』と揶揄されることがあるのも、実行可能な、良薬口に苦し的な政策よりも、目の前にぶら下げた人参のような政策発表をすることで、 より当選しやすくなると思ってのことだろうと思う。

でも、手段が目的化してしまっているように見えるような候補者だって、地元の選挙区では絶大な人気を誇っていたり、1対1で話すと人間的にもとてもいい人だったりする。 リーダーとなる人が乗り越えなければならないことの重要なテーマの1つに、日本のどのコミュニティでも見られる(と色々なところで言われているよね?)、1人1人は人間的にも、スキル的にもとても素晴らしいものを持っているのに、集団になると、とたんにその魅力が失われてしまうという事象を何とかできないの?ってこと(まぁ結局は、リーダー不在だよね?って話になるのかもしれないが)

『インターネットが政治に必要』、は本当か

選挙活動の場としてのインターネットは、選択肢が一つ増えるというだけのことなので、 中高年が不利になるとか、そういうことは無い気がするのでこの際考えない。

わたし自身は、半分インターネットジャンキーなところがあるから『インターネットが政治に必要』には賛同するけど、 政治活動をインターネットに解禁することでメリットを享受する人って、何%ぐらいいるんだろうか。 若者が選挙に行かないとか言われて久しいが、そもそも若年層が全員選挙に行ったところで、大勢を覆すだけの票数が稼げるのかは若干疑問だ。 このへんの話は、『僕は若者に「選挙に行け」とは言えない。』とかにも書かれているし、 『選挙権の定年精度』なんていうのも色々なところで話題に挙がってはいるぐらいなもので。

それに、インターネット上での選挙活動が禁止されているのは、公示があってからたかだか1週間〜2週間程度。 ここを解禁して何が変わるかと言われても、何も変わるようには思えない。 インターネット投票の導入はそれなりのインパクトはあるだろうが、投票をインターネットからデキルようにするには、 莫大な費用もかかることが予想されるし、本人認証をどうするかや、不正投票・票数の不正操作をどう防ぐか等、 考慮すべきことはたくさんある。 まぁ、この辺は現行制度の方が優れているとは必ずしも言えなくて、たくさんの人手をかけた現在の開票や集計方法がどれだけ信頼がおけるかというと、 そんなことは無いとも言えるし、数票の数え間違いぐらいなら、大勢には影響ないから、問題ないという話なのかもしれない。 それにしても開票や集計を行う作業員はどうやって選出しているのだろうか。特定のイデオロギーを持った人ばかりが特定の開票所に集まらないようにしないと危険な気がするな。 と、ここまで書いたところでググってみたら、2009年の衆院選にかかった費用(選挙公費)は、なんと約600億円だそうだ。 マジすか!それだけのお金があったら、インターネット投票システムだって作れてしまうし、何回か分の運営費にもなろうだろう。 これは、インターネットの選挙活動への積極活用とかそういうレベルではなくて、インターネット投票システムの構築の方をなんとしてもやるべきじゃないの?

2012年、衆院選の開票を終えて

わたしが見ている範囲のネット上での意見では、自民党にだけは絶対に投票しないという人が大勢を占めていたように見えるけど、 終ってみたら圧勝だったようで。そう考えると、ネット上で意見を言っている層と、そうではない層はかなり異なった考えを持っていることになる。

原発事故後、「誰かが決めた」のではなく、「自分たちが決めた」と言えるようになりたい

なんていう言葉も目にした。 でも、自分が投票したのとは違う結果になったとき、結局は『誰かが決めた』になってしまうのではないか。 『民意』とは一体なんなのか。 まぁとにかく、自分が誰に(どの政党に)に投票して、その結果どうだったかは人それぞれだとは思うけれども、 『目指すべき所はブレないけど、失敗を許容して、変化にも柔軟に対応していく』ということが、 これからの政治のありかた、参加のしかたなのではないか、というところまで思いを巡らせた時、 なんだ、それ、実践してて上手くいっている業界が民間に既にあるじゃん!と閃いたので次の記事でそのネタ話を書きます。 (その目指すべきところが今はみんながあまり見えていない様な気もするし、それを示せる人もいないから、グダグダな状態なんだろうけども)


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Published

17 December 2012

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