ケーキの苺にヘタを付けたまま乗せるパティシエはなぜ一流ではないのか
はじめに
普段ケーキを食べない人もこの時期は食べる機会があると思いますので、ケーキにまつわる重要な話を書いておきます。 ちなみに、わたしはほぼ毎週食べているぐらいケーキ好き。といっても、スイパラのようなジャンクフードには全く興味がありません。 この時期のケーキには苺が乗ったものも多々ありますが、本当に美味しい苺の旬は12月ではないので、 苺好きなら1月末ぐらいまでは待ちましょうw
ケーキに乗った苺のヘタの話
さて、ケーキに乗っている苺にヘタが付いているのはなぜだろうと考えたことはあるでしょうか。 この話は、4年前にもブログに書いたのですが、 少し前に話題に挙がったので再び書いておこうと思いました。このへんの着眼点は、前のブログでも書いていますが、小宮 一慶さんのビジネスマンのための「発見力」養成講座に、『サラダバーのプチトマトのヘタの有無でホテルの格がわかる』という話でも語られているものと同じことです。
『なぜヘタを付けたままの苺をケーキに乗せるんだろうね?』というわたしの問いに、ある人は言いました。
『見栄えを良くするためだ』
たしかに、ケーキにヘタが付いたまま苺を乗せている人はそう思っているのでしょうね。 でも残念ながらそういう風に考える人は思いやり・おもてなしの心が足りないと言わざるをえません。 その苺がヘタまで美味しく食べられるように作られていた、という話であれば状況は変わってきますが、 わたしが今まで食べたことのある苺のヘタは食感もよろしくないし、苦味もあり、特別な栄養があるわけでもなく(厳密には可食部という扱いじゃないので、栄養価は調査すらされていないようですが)、ケーキという1つの作品の『味』を構成するには不要なものと言わざるをえません。『ヘタにまで味がある。最高の苺』なんて言っている人もいますが、どうなんでしょうか。 もちろんケーキを構成する要素は味だけではありません。PIERRE HERMEは、五感で楽しむことができるように彼の作品を作っています。 そういう意味では見映えを良くすることは悪いことではありません。しかし、見栄えを良くするのに単にグリーンが欲しいのであれば、例えばセルフィーユのようなものを使うことは考えなかったのでしょうか。 そうするとコストアップに繋がることを懸念しているのでしょうか。それならその分価格を上げても良いのです。最も、葉っぱ一枚程度では数円の差もでないでしょうから、言い訳にはならないとわたしは思っています。どうして、あの『ヘタ』を取り外すという行為を食べる人に強いる必要があるでしょうか。 まさにUser Exprerienceをどこまで考えぬいたのかが、完成されたケーキに表れていると言えるのです。
たかがケーキのヘタ?
『今までもそうだった』というのは、歴史を重んじているようで実は単なる思考停止です。 先人たちの知恵に敬意を払い、自分の中に吸収し、再構成した上で新しい表現をしてこそ一流だと思いませんか。 たかがケーキのヘタと思うかもしれませんが、プロはそういう細部にもこだわるものです。 わたしは最近デザインを勉強しているのですが、太刀川英輔/NOSIGNERレクチャー+ワークショップシリーズ 「デザインの文法——ひらめきを生み出す思考」の中で、川上 俊さんはこう言っていました。
『神は細部に宿る』
この言葉は、元々はMies van der Roheという建築家の言葉、
God is in the details
から来ていて、色々なところで聞きますね。 この建築家は『Less is more』という、Zen(禅)の思想にも通ずるような名言も残しています。
話がそれてしまいました。 技術があり、愛情とこだわりをもってモノを作る、そしてそれをお客様に届けるところにまで気を配る、 そういう本物の作り手をわたしは今後も応援していきたいと思っています。多くの人が、食べ放題のような20世紀型の大量生産・大量消費型の食生活から脱却し、 本当に幸せな食生活を送れるようになることを願ってやみません。あ、ただし、苺のヘタがとってあったからといって、必ずしも美味しいケーキというわけではないのでご注意を!
それでは、みなさん、Happy sweets lifeをどうぞ楽しんで。